諏訪神社の丸いものを撫でに来ました@消えゆく桐ヶ丘の団地

*団地は故郷

*何故か北区赤羽に来ています*

「開いているかしら」
「う~むかなり微妙」


この料理は池袋の四川火鍋城で初めて食べて奥様が感動した逸品です。
探し続けていたら赤羽駅前の中華料理屋のメニューの中に発見しました。

「ニンニクが凄まじいけどね」

めも四川火鍋城を参照


あきらかに営業時間内に電話しても繋がらなかったので諦めてはいました。
こういう日本人には読み辛い名称の店はコロナ禍でバタバタ閉めています。

「閉まってるわん」奥様

めも閉業とは書いていないが再開は未定


それで今日は朝から夫婦共々モチベーションが今ひとつ上がらない。
赤羽駅の反対側にある中華料理屋でランチを食べることにしました。


ランチタイムということもあって、割とお店は混んでいました。


メニューはごく普通かな。


なんで週一回の休日にラーメンを食べてるのかよくわかりません。
昔は「アフリカには食べるものがない子供がたくさんいるのよ」

「とか母親に言われましたが」


出だしから盛り上がりに欠けているけどモグモグと食べておく奥様。

 

 

*諏訪神社*

*赤羽駅から桐ヶ丘に移動*


東京都北区の赤羽は小学校の3年生まで私が住んでいた場所でした。
駅前から歩くと30分くらいの所から広大な公営団地が見えてきます。


少し高台になっている一帯に無数に並ぶ建物と給水塔が見える。
再開発が進められて消えゆく桐ヶ丘団地は故郷みたいなものです。


団地のすぐ近くにあった諏訪神社にはよく遊びに来ました。
お爺ちゃんと散歩中に飼っていた亀が逃げたのもこのあたり。

めも亀を持参して散歩するのは要注意


それから数十年後に奥様を連れての諏訪神社訪問です。

「実は見せたいものがあったのだ」


これです・・が、こんなに小さかったかな?
遠目には小型のストーンヘンジに見えなくもない。


子供の頃はコンクリートが丸くてスベスベしているのが不思議だった。
この謎の物体の上に座ったり、丸い感触が面白くて撫でたりしました。


これは水準点という測量のための基準になる永久標識というものらしい。

「知らんかったけど」

めも水準測量の際に用いる標高の基準となる永久標識(よくわからん)


奥様はそれよりも狛犬のプリッケツがお気に入りのようでした。

「お尻がかわいいわぁ~」奥様


荒川を渡って七福の湯という温泉で伸びることにしました。
結局イマイチ最後まで盛り上がらず週一回の休日は完了です。

「まあそういう日もありますね」

*桐ヶ丘団地*
東京都北区にある桐ヶ丘には、日本で最大級と言われた広大なエリアに、同じような、そして微妙に違うコンクリートの団地が連なっていました。住んでいたN号棟は4階建てで真ん中の階段を中心にして両側に80戸、合計で160世帯が一つのアパート内に暮らしていました。そういう建物が100棟以上ある桐ヶ丘団地は子供の自分にとって『進撃の巨人』で描かれている巨大な城壁に囲まれた街のような場所でした。今でもどこかで古びた団地を見かけると不思議と安心感を覚えます。何ヵ所か存在した駄菓子屋に集まって、少ないお小遣いでスナック菓子をよく食べた。みんな同じ程度の生活水準の子供が多かったけど、たまに団地の外から遊びに来る子供もいた。そういう子供はお小遣いの金額が一桁も二桁も違うので駄菓子屋でお金の使い方が半端ない。ラムネが1本5円の時代ですが、駄菓子屋のもんじゃ焼きは自分にとっては月に一回食べられればいいくらいの高級食材。しかも具材無しでキャベツだけか、入れても何か一品のみ。しかし団地の外から来た子供は店のおばさんに・・・

「全部入りでね」

と平然と前人未到の注文をして自分を含めた他の子供たちを唖然とさせたものだった。まさに城壁の外から進撃してくる巨人そのものだ。団地のエリア内には旧日本軍の倉庫跡だとか使われていない広場や空き地があり、紙芝居のおじさんがバイクでやってきたり、玄米パンを売りに来るおじさんもいました。

「玄米パンのホッカホカ~」

そういう思い出のある桐ヶ丘団地も少しづつ再開発が進み、取り壊された建物も目立ってきました。子供の頃によく撫でていた諏訪神社の不思議なものは、もう少し大きかったと思ったけど、考えれば自分が小さかっただけでした。クミンの料理が食べられずにモチベーションが下がりっぱなしの休日でしたが、奥様と二人であれを撫でに行ったということでいいかも知れません。奥様は狛犬のお尻のほうが気に入ったようですが。

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